2000/01/31 新規
2005/04/15 更新
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八戸の歩き方
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八戸の歩き方(私鉄・貨物線編)

ここでは八戸市内の貨物鉄道、私鉄について説明します
八戸の歩き方鉄道編>貨物線編
お願い
 市内には貨物線が昔は多かったようですが、私が生まれる前の物もあり、資料も無いので自分の記憶に頼っています、そのため事実と異なるかもしれません。
その場合、知らせてもらえれば修正しますので、ぜひ報告お願いします。


・(リンク)「国土情報ウェブマッピングシステム」
国土交通省が運営するサイトで、全国の過去の航空写真を見る事ができ、八戸市内では昭和50年度のものが見られます。
そのため、貨物線が多くあった当時の様子を見る事ができます。
「400dpi」を押すと高解像度なものを見る事ができます。
○写真例 「鮫、白銀地区」

・(リンク)「変化を見つめて」(「産業遺産展示コーナー・過去のページ一覧」に松館鉱山情報あり)
 松館鉱山から新井田にかけての貨物線跡を写真入りで紹介しています

●伊吉書店が発売(地図製作・塔文社)している「八戸市大地図」には、販売中のものでも八戸市内の貨物線跡(鮫、白銀、江陽地区など)が載っています。
貨物線跡を探す場合には必須とも言える地図です。
八戸市内では伊吉書店で販売しています。
また、↓こちらのオンライン書店でも購入する事ができます。
・(PR)「八戸市大地図」をJBOOK(文教堂)で購入する
ISBNコード:4-88678-163-2 定価:840円

・リンクを追加しました(2005/4/15)
 八戸市内では、かつては魚輸送向けに、国鉄の貨物線が魚市場のある、鮫、白銀、江陽地区などに網の目のように存在しましたが、漁業の衰退とトラックによる輸送への切り替えなどにより、現在ではこれらは残ってはいません。
また、市内の松館の石灰石鉱山より湊町のセメント工場までと、この工場より陸奥湊駅まで(こちらは平成元年前後に廃止)の民間の貨物線がありました。

 現在ある貨物線は、八戸臨海鉄道の八戸貨物駅〜北沼〜河原木地区の三菱製紙工場までの路線と、JR八戸線の長苗代〜本八戸間より分岐して、河原木地区の石油基地までの路線が存在しています。
 私鉄は、八戸駅(旧尻内)〜五戸駅間に、南部鉄道(現南部バス)が存在しました。
地震で被害を受けて、復旧せずにそのまま廃止されたようです、現在でも、五戸駅という名前が、南部バスの車庫兼バス停に残っています。

八戸市内の私鉄・貨物線の一覧表
 運行会社など(推定)区間現在の状況
八戸臨海鉄道八戸貨物駅〜北沼貨物駅〜三菱製紙八戸工場内現在も運行中
一日4往復
三沢基地(自衛隊・米軍)への燃料輸送 画像長苗代〜本八戸間より分岐、河原木の石油基地まで
(列車は八戸石油基地〜三沢基地間の運転)
不定期で運行中
朝の1往復
三沢市内三沢基地(自衛隊・米軍)への燃料輸送 画像有りJR三沢駅から三沢基地まで不定期で運行中
朝の1往復
八戸セメント八戸セメント工場〜陸奥湊駅平成元年前後に廃止
八戸セメント
画像有り
松館の石灰石鉱山〜八戸セメント工場昭和48年に廃止
国鉄
画像有り
八戸線(鮫〜白銀間から)〜第三魚市場など
鮫・白銀地区には魚市場などへ国鉄時代に多数存在していたようです
昭和60年頃には線路が存在
国鉄
画像有り
八戸線(本八戸〜小中野間から)〜湊貨物駅
江陽・沼館地区には、湊貨物駅よりの支線が工場などへ多数存在していたようです
国鉄末期の昭和60年頃に廃止
南部鉄道(現南部バス)尻内(現八戸)〜五戸昭和43年の十勝沖地震の被害により、その後廃止
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1.八戸臨海鉄道 画像有り

 この路線は、三菱製紙八戸工場からの紙製品の輸送を、コンテナ列車により行なっています。
 運行本数は一日4往復で、コンテナ車は青い森鉄道、JR東北線への直通となり、JR八戸貨物駅またはJR八戸駅で機関車を交換します。
 全線のほとんどが地平で、馬淵川沿いに走ります。途中には踏切りもあり、JR八戸線と合流する付近(長苗代〜本八戸間)では立体交差で幹線道路上を通ります。合流するとしばらくは八戸線の横を単線並列の形で走り、JR八戸貨物駅付近で終点となります。
なお、馬淵川沿いに走る区間では、直接は見えませんが対岸を石油基地への貨物線が走っています。
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2.三沢基地への燃料輸送  八戸市内の画像、三沢市内の画像

 この路線は、市内河原木の石油基地にある、在日米軍八戸油槽所から三沢市の三沢基地への燃料輸送列車が走ります。
終点の石油基地付近では、米軍管理地内(一般の立入禁止)へ入っていきます。
なお、馬淵川沿いに走る区間では、直接は見えませんが対岸を八戸臨海鉄道が走っています。

・(リンク)「国土情報ウェブマッピングシステムの航空写真」
 「石油基地上空」
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3、4.八戸セメント 画像有り

 松館の鉱山から、工場まで石灰石を運び、そこから製品を陸奥湊駅まで運ぶために存在した路線のようです。
そのうち、鉱山〜工場間の線は、トロッコ列車の形態で踏切りもあったようで、新井田川に沿って走っていました。
昭和48年に鉱山から港までを結ぶ、ベルトコンベヤーの完成により、廃止となりました。現在は一部が道路になっています。
工場〜陸奥湊駅間の線は、私の記憶では昭和60年〜平成元年くらいまでは使用されていたと思います。
廃止前には、朝の9時位に工場発の列車が走っていたのを覚えています。
こちらの線路跡は、道路となっています。

・(リンク)「変化を見つめて」(「産業遺産展示コーナー・過去のページ一覧」に松館鉱山情報あり)
 松館鉱山から新井田にかけての貨物線跡を写真入りで紹介しています
・(リンク)「国土情報ウェブマッピングシステムの航空写真」
 (新井田川河口に近い順)「陸奥湊駅上空」「八戸セメント上空1」「国道45号線新井田大橋上空」「新井田橋上空」  
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5.鮫・白銀の貨物線 画像有り

 鮫・白銀地区には、第一魚市場、白銀埠頭などへの貨物線が多数ありました。最盛期には、東京などへ冷蔵貨車を使った鮮魚輸送列車も運行されていたようです。
現在では、すべて廃止になっており、線路なども残っていません。

・(リンク)「国土情報ウェブマッピングシステムの航空写真」
 「第一魚市場、白銀上空」「第三魚市場上空」
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6.湊貨物駅とその支線 画像有り

 江陽と小中野の境目に湊貨物駅がありました。この駅は、明治に八戸線では始めに開業した区間で、八戸港へ水揚げされた魚介類の輸送が主だったようで、昔は旅客輸送も行なっていたようです。
 昭和50年代に八戸線と共に高架化されましたが、昭和60年に廃止された路線です。
 この駅からは、さらに第二魚市場や江陽・沼館地区の工場へも路線がありました。

・(リンク)「デーリー東北 特集:新井田川漫歩・第1部 海からの風」
(営業中当時の湊貨物駅の様子など)
・(リンク)「国土情報ウェブマッピングシステムの航空写真」
 「第二魚市場、湊貨物駅上空」
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